2021-01-27

藤野寛『友情の哲学』読みました。

藤野寛『友情の哲学』

友情の4つの構成要素@アリストテレス

①他者に惹かれること。

「相手の善を願う」「時を共に過ごす」「互いを喜ぶ」。一緒に楽しむ。

②相手のためによかれと願うこと。

 相手が嬉しいとこっちも嬉しい。相手苦しんでるとこっちも苦しい。

 相手が困っているときに助ける用意がある。

③双方向的であること。

④双方共に気づいていること


著者自身が友情については不得意だと言ってる通り、内容も薄かった。友情って大事だよね、というのはわかった(けどそんなの読む前からわかってた)。

2021-01-03

ウォーノック『想像力:最高に高揚した気分にある理性の思想史』読みました

 ウォーノック『想像力:最高に高揚した気分にある理性の思想史』

「何も思わぬ目に映るよりも多くのことがこの世界の経験にはあるという信念、そしてわれわれの経験には意味があり、理解を試みるに価するという信念・・・・・・このような信念は無限の感覚と呼んでいいだろう。それは、いつもさらなる経験が可能であり、経験にはわれわれが予測できるよりもさらなることがあるという、(信条の一項目というよりは) 感覚である。このような感覚、すなわち極めて人間的なレベルにおいてさえわれわれの関心を深く惹きつける何かがあるという感覚をいくらかでも持たないことには、人間の生は、無駄や無意味にこそなりはしないだろうが、あたかもそうであるかのように経験されることだろう。それはつまり、退屈するということである。私の意見では、人々がついぞこのような意味で退屈しないですむ、つまり、無駄の感覚に屈したり、経験に値することは経験し尽くしたと思いこんでしまわないような機会を与えるということが、教育の主要な目的である。」

「想像力」は多義的。創造的な能力にだけ使う向きもあるけど、ほんとはその手前からもう働いてるんだという話。「合理性の現代人」はちゃんと想像力を使ってるかな。

2021-01-02

「マルモイことばあつめ」観ました

80年ほど前、日本が朝鮮を併合してた時の話。日本は朝鮮人を「日本人」にしようとした。戦争に送るために。彼らに日本語を使わせ、朝鮮語を奪おうとした。その時に朝鮮語を残すため、辞典を編纂しようとした人たちの話。

観てて思ったのは日本人は日本を愛しているのかということ。もし日本を愛していたなら、あんなことをするだろうか。

自国を愛することと他国を尊重することを対立的に捉えるのは間違いだ。対立的に捉えることによって右に寄ったり左に寄ったりする。自国を愛することは他国を蔑視することと同じことではない。もしそうなるとしたら、それは自国愛が歪んでいるのだ。むしろ自国を愛することは、他国を尊重するための前提である。自国を愛することと他国を尊重することは両立する。大事なのは想像力をもって相互的に理解すること。

はっきり言おう。ネーションステートが標準語を設定し、教えるのは軍隊を動かすためです。だから明治期に日本がネーションステートになったとき、全国に学校を作りました。朝鮮人にも日本語を教えました。

#1人の10歩より、10人の1歩