大谷 愛人
勁草書房
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K「私が自分はキリスト者であるのかないのかを自分の口で言うことがどうしても迫られるときには、私の頭上で剣がきらめくときである。その時、私の答えは次のようなものになることだろう。私は、自分がキリスト者であるとされることを神にお願いする、私は、神が私をキリスト者ならびにそのような者として恩寵を垂れたもうことを信じていると。〔中略〕その人間がさらに続けて『よろしい、それならお前はわれわれが要求しているような答えを言おうとしないのだから殺してやろう』と言うとすれば、その場合には、私は次のように答えることだろう。『どうぞよろしいようにおやりなさい。私はそれに対して何ら異議はありません。この殉教ということは十分覚悟のうえです』と。〔中略〕私は、私がキリスト者でありましたがゆえに打ち殺されたのでありますと。けれども、もし私がそのように言うとするなら、その時私は、そうすることによって、実は明らかに、神に向かって次のように言っていることになる。すなわち、私はキリスト者でありました。本当にそうだったのです。これほど確かなことはありません。なぜなら私はキリスト者だったからこそ打ち殺されたではありませんかと。しかし私に、こんなことを神に向かってどうして言えるだろうか。私は、神に向かってはもっとずっと遜った言葉を使わなければならないはずである。つまり、私は神に向かっては、神が私をキリスト者として恩寵の中に入れたまうようひたすらお願いすることだけなのである。」
「彼はそのようにして打ち殺される。これが殉教である。彼は死ぬことによって、出発し、永遠へと到達する——裁きのために。その裁きにおいては、神は彼をキリスト者としての恩寵の中に保ちたもうであろうことを彼は心から信じている。」人はしばしば、死んでからも愛されたい、と望む。そんなの強欲だという人もいるが、私はいいと思う。実際、死んでからも愛されている人はいる。死んでからも愛されようと今を善く生きるのでいいと思う。
