イッツ・ア・スモール・ワールドにはいつも必ずいきますが、今回も2回乗りました。私はイッツ・ア・スモール・ワールドがディズニーランドの中心だと思ってます。
"世界中 どこだって 笑いあり 涙あり
みんな それぞれ 助け合う 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ
世界はまるい ただひとつ
世界中 だれだって ほほえめば なかよしさ
みんな 輪になり 手をつなごう 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ
世界はまるい ただひとつ"
"It's a world of laughter, a world of tears.世界じゅうにはいろんな国があって、いろんな生活があって、いろんな言葉があって、いろんな人種があって、でもみんな同じ人間。喜んだり悲しんだりして生きている。世界のいたるところで人々は助け合って生きている。違うけど同じ。これが「夢の国」の論理。
It's a world of hopes, a world of fear.
There's so much that we share.
That it's time we're aware.
It's a small world after all.
It's a small small world.
There is just one moon and one golden sun.
And a smile means friendship to everyone.
Though the mountains divide and the oceans are wide.
It's a small world after all.
It's a small small world. "
違うけど同じ。同じ唄が様々な言語で歌われる。言葉は違うけど、意味しているものは同じ。食べているものは違うけど、食べているという意味では同じ。踊り方は違うけど、踊っているという意味では同じ。着ている服は違うけど、服を着ているという意味では同じ。模様は違うけど、模様を楽しんでいるという意味では同じ。世界の人みんなが希望をもったり不安になったりしている。
「夢の国」と言われるディズニーランド。「現実の世界」ではないという対置がなされる。夢の世界の裏には、「現実の世界」があるのだ。世界は同じように見えて違うのだ。社会は助け合わないのだ、一緒に笑っても、人間同士はばらばらなのだ。
それからイッツ・ア・スモール・ワールドには「子どもの人形ばかりが並んでいるように見える」が、実はあの人形は大人なんだと思う。人形は大人がやっている行為をやっている。子どもがやるはずのない行為をやっている。見かけ上子どもに見えるだけで、実は大人の世界を再現しているんだと思う。
高校生はディズニーランドが異様に大好きだ。だんだん大人になってきて、現実が見えてきて、夢の風船が割れる。現実か夢かの二者択一を突きつけられて、現実を拒んで、もう少し夢の国に住みたいと思う。
でもこういう夢か現実かの二者択一はほんとうは見せかけの選択だ。現実は夢なき世界ではない。現実に生きることは夢を棄てることではない。夢を実現すべく奮闘するのがほんとうの現実の生活だ。
なにごとにも裏があるのだよ、と嘯く人には、裏があれるのは表があるからだ、と言ってやるのがいい。確かに現実世界には戦争があり、争いがある、弱肉強食の世界だ、力の世界だ。でもそれは世界のすべてが力の世界であるということではない。世界にはやはり助け合いもあるのだ。むしろ助け合いの世界が表であり、主であり、力の世界は裏であり、副でしかない。表がなければ裏もないんだから。
ディズニーランドでは耳をつけている人がいっぱいいる。あれは、言わば祭衣装、「正装」なのだ。耳をつけないのは、祭衣装を着ないで祭に出ている人のようなもの。耳をつけている人たちは実は保守人たちなのだと思う。