2019-11-02

パッケージ化された知

パッケージ化された知。有機的な首尾一貫したひとまとまりの知。
現代人は、パッケージ化された知を求める傾向が強い。しかしパッケージ化された知は閉じられた知、世界から孤立した知、自分の生とは異質な知である。それは道具だ。世界をさばく道具だ。人間に力を与える道具だ。
これはパッケージ化された知は使う主体たる人間のうちにある知ではない。この知を使っているとき、その知を使う人間は不問に付されている。その道具を使うのはいいことなのか、使う人間は堕落してないかは不問に付されている。

主体とは関わりがないから、自分をどうすればいいかということになると、この知は何も答えてくれない。そのときこの知は無力である。この知は主体を改変する力をいささかもたない。

宗教は時にパッケージ化された知をこえていく。時に神の名のもとにパッケージ化された知を作り上げたりする。後者の場合、その宗教の外部から眺めてるこちらは、パッケージ化された知の危うさを知る。

演繹法の欠点は、始点が確保できないことにある。帰納法の欠点は、取り上げる事実は部分的なものにとどまるというところにある。