2019-11-25

メディアの世論調査はあてにならない

https://twitter.com/butagolira1995/status/1198072901380931584
あんなの「当社比」みたいなもの。正確な結果を出す義理がない。

日本人の多くは感性的人間(自然的人間、動物のような人間)であるが、彼らは、感性によって他者と結びつく。日本人は他者に感応する。直で関係を結ぶ。
理性の層とは、精神的存在の、社会的存在の、原理の、宗教の、哲学の、普遍性の層であるが、日本人の意識はこの層をもっていない。
しかしそれはいまだ諸関係であって、そこにはいまだ社会はない。社会は原理によってできるもの。社会は、私が知らない人とつくるもの。
日本はまだ廃藩置県してから150年。日本国はオカミが支配のために宣言したものでしかなく、いまだ原理によって国民たちが作り上げたものではない。その国家社会は、制度的なものでしかない。原理、中身がない。つまり実質的にはまだ日本には社会がないのだ。
西洋で社会を立ち上げたものは宗教だった。それが後に哲学によって肩代わりされるようになった。日本にはそうした宗教も哲学もない。したがって西洋にあるような社会は日本にはない。
民主主義社会とは西洋哲学が作り上げた社会の一つ。日本人にはこれができない。民主主義の原理から社会を立ち上げたのではないから。日本人にとって初めも今も民主主義は制度でしかない。

結局、哲学することができない日本人は、価値を共有する人間たちから成る社会を作れないということ。国内的にも、国際的にも。
国内では、自分以外は仲間か他人かになる。家の外にはよその人がいる。
国際的にも、外国はよその国。EUのような国際社会を日本はアジアで作れない。
日本人は孤独なのだ。だから肌を合わせるようにして諸関係を作る。人々は魂ではなく身体の世話をしあう。
原理、内容、哲学なき日本人は社会を構成できない。日本人にあるのは直接的な感応関係、利害関係、「絆」、利害共有の思い出。
哲学とは合意形成以上のもの、普遍(社会的)存在作成作業のこと。メジャー宗教があるということ→メジャー哲学があるということ、と西洋史は展開した。
西洋哲学は、その本質において普遍化の原理だから、グローバル化する。本質的には、多元主義をとりえない。