2020-12-04

セドラチェク&グレーバー『改革か革命か』読みました

セドラチェク&グレーバー『改革か革命か』

グレーバー「合理性という言葉について考えれば考えるほど、それは特異な概念だと認識します。なぜならそれは信じられないくらい限定的だからです。誰かを非合理的だと言うとき、その意味は、その人が論理的な展開をすることができず、きっと正気でないと言っていることになります。非合理にさほど多くの意味はありません。それは本質的には空虚なカテゴリーです。合理性の上に社会を築くというのは無意味です。それはまるで、釘だけでできた家を建てるようなものです。釘は何をつないでいるのでしょう? 合理的なシステムについて語るということは、真の問題をすべて避けているのです。それは経済学者が合理的個人について話すときに似ています。この例はすぐみつけられるでしょうが、実際の行動はそれには当てはまりません。次のものは経済学部の一年次の標準的な練習問題です。「慈善活動をする人についてどう考えますか? 彼らはいい人だと認識されることによる喜びを最大化しようとしているのです」。もちろん、なぜ、人々はそれで快感を得るのかという問いには彼らは答えられません。それに対する彼らの答えは、「うん、心理学者に聞いて」というものです。合理性は何も教えないのです。」 

合理性の人は思考停止してる。彼は計算してるだけだから。とすれば、現代人の多くはいつ思考するんだろう。仕事中は思考しないんだとすれば。仕事以外の時間は余暇の時間なんだとすれば。家族以外と付き合うことがほとんどないのだとすれば。