2020-12-18

エックハルト『神の慰めの書』読みました。

『神の慰めの書』

「お前は尋ねるだろう、そのような大きな高貴性をもつとは、一体離在とはどのようなものであるのか、と。お前は知らなければならない、真正の離在とは、丁度、広大な山がささやかな風に対して不動であるように、精神が一切の偶発的な愛や悲しみや名誉や恥辱や誹謗に対して不動であることにほかならぬことを。かかる不動の離在は人間をば神との最大の等しさにもたらすのである。神が神であるのは彼が不動の離在をもつが故であり、彼はこの離在から、彼の純粋性と単一性と不変性とを得ているからである。さればこそ、いやしくも人間が神に等しくなる——一個の被造物が神との等しさをもち得るかぎりにおいて——べきであるなら、それは離在によってでなければならない。このものこそ人間を純粋性の中に、純粋性から単一性の中に、そして単一性から不変性の中に引き入れる。これらのものは神と人間との間に等しさをもたらすものである。」

キルケゴールの単独者は離在の境地にあるのかな。